フォトワーズ[ことば]の最近のブログ記事

井の頭公園は大きな池のある公園。
思えば、ふとした瞬間に近づきたくなるのは水のある場所。
海の波打ち際や湖のほとり。
100歩譲って、池でもいいし、コンクリートの溝川でもよし。
もう100歩譲ってビルにある噴水。校庭にある水道の蛇口。
乾いた気分を潤したくて無意識に水の気配を探してしまう。
そういえば、先日行ったお店の入り口にミニチュアの噴水があって、
そのちょろちょろと流れる水の音だけでも癒されている自分を見つけてしまった。
部屋に水琴窟や鹿威しを導入すべきか一瞬考える。
やはり上善は如水。水は大切。




「人って空を飛べないのに、なんであんなにはっきりと空を飛ぶ夢を見ることができるんだろう。」
それが心の中の世界で作られた出来事であったとしても、それなら現実の世界を受け止めているのは一体どこなんだ?
みんなが見ているこの文字だって、写真だって、本当に存在するのだろうか?電源を消したら消えてしまうあやうい世界をどうやって「ある<現実>」って言えるのだろう。
もし次の瞬間にこの画面が「Not Found」になったら、みんなとの関係はきっと終わってしまう。それは僕の存在がなくなったのではなくて、ブログを管理している会社が倒産しただけかもしれない。
そんなものに、僕たちの関係が握られているのだとしたら、細い糸の上に立っているような世界で僕らは何をしているんだろう?

■沖縄のおばぁ
沖縄の海岸を散歩しているとき、ひとりのおばぁとすれ違った。
「あっち(岩場の向こう)は風がびゅーびゅー吹いてて、大変だった」みたいな会話を一言二言交わして、僕は海辺に歩きだし、おばぁは海岸沿いのコンクリートの道をただ歩いている。
あっちの岩場をみると随分遠い。何時間歩いてきたんだろう。
「何をしているんですか?」なんて聞くのも野暮な気がして、なんだかご近所さんのような気分でごく自然に出会ってごく自然に別れた。

師走であわただしい毎日ですが、気持ちあせらずいきたいですね。

君は君で
僕は僕でいることがゆるされるとき。
シャッターが二人をつないでくれる。
深く知り合うだけの時間はなくとも、
刹那に垣間見える君の表情を忘れないようにしよう。
目と目があったように、永遠を感じる一瞬。
何かが必然としてそこにあって、
お互いがその存在を認め合う。
あたりまえのように広がる世界はあたりまえには存在しない。
だからこの瞬間が永遠。
通り過ぎるからこそ見える景色をもっと沢山感じていたい。

