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拡張現実の勉強会

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3290509394_21956b2b25_m.jpg 今日は日経デジタルコア主催の勉強会に参加。

テーマは拡張現実「AR

ざっくりARを表現すると、こんな感じ

目の前に見えているものの上に、合成されたCGが重なって表現される技術で慶応の稲見先生が講演。

こうした技術が製品に応用化されて、僕らの生活に入り込んでくる日もそう遠くはない。

たとえば、AR用サングラスやメガネをかけて野山を歩いていてると、道ばたに咲いている花の名前や説明が出てきたり、顔認識技術が向上したら、頭から、にゅーと広告看板がでて、たくさんの人に見られると歩いているだけで広告収入が得られるとか・・(笑)

道行く人のファッションで気に入ったものがあったら、その場で同じ服をオーダーしたりとか。(いや、これはまずい・・・値札をつけて歩いているようなものだから、うかうか変なもの着て歩けない。。)

いきなり古い知り合いに声をかけられても、すかさずメガネや携帯をかざすとその人の名前がでてきて、気まずくならなくてすむ。とか。(まぁそれ以前に個人情報の問題があると思うけど。これ全部、書きながら思いつき。)

全部、落語のネタになりそうな話がARのお茶目なところ。もちろん、そんな遊びばかりではなく、医療や工業、教育、バリアフリーな世界まですべての分野において応用範囲は広がることも期待される。
また、この技術によってよりコンピューターのモニターの前という世界から解放されて、より多くの人に使ってもらえるインターフェイスになるという期待感もある。

反面、これだけ情報過多な社会にそれ以上情報を増やしてどうしたいんだろう?という疑問もよぎる。

セカンドライフやネットワークゲームのような仮想世界で起きえたことがより実生活の領域に入り込んでくるのだとしたら、すでに、色々なアイデアや可能性、問題点も議論できるはず。そろそろそんな社会を見据えて、どんな情報化社会を望むのか、これまでのインターネットの世界や仮想世界で起きえたことを酒の肴にディスカッションする場がもっとあるといい。というか誰か呑もう。マニアックに。

一昨年セカンドライフのような仮想世界が話題になったのは、まさにこれから迎えるARな社会に向けての予行練習や議論のための土台づくりだったのだと、今日の勉強感を聴きながら改めて思いました。

いやぁ、コレをネタにちょっとしたSFショートショートが一杯書けそう。妄想ネタには最高です。

第12回 文化庁メディア芸術祭

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国立新美術館の第12回 文化庁メディア芸術祭に行ってきました。

実は、一周して全体的にピンと来るモノがなく、一旦会場を出て、美術館館内でやっている他の展示や「書道展」を観ていたのですが、意味や技術を追わずに先入観をなくして眺めていたら、そのすごさを感じる作品が多くあって、その感覚でもう一度あらためて再挑戦。

そうしたら、意外に面白いものが多く楽しめました。

つい、テクノロジーを先読みしてしまう癖があって、純粋に楽しめないところがあったのですが、そうした先入観を無くして楽しめる作品はアートとしても面白いですね。

逆に、技術や仕組みを理解しないと楽しめない作品というのは、こうしたメディアアートやテクノロジーアートとしてみたときに、やはり感じるものが少ないのかもしれません。

アートに限らず、ITやパソコンでも同じことが言えるなぁと、少し自己反省。


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)実際の都市を緑化したらこうなる。というCGアート作品

フェイクであっても、こうなったらいいなぁという願望が強く印象づけられるので、アートが現実を変えるきっかけになるのかもしれない。と思った作品。

)実際の時間通り、木材で作っていく巨大なデジタル時計

テクノロジーを逆転させて、アナログな力業でデジタルを表現した作品は、他にもあったのですが、やはり観ていてわかりやすく膝を打ちました。

)アート部門の大賞作「Oups!

投影される自分の映像にあわせて、インタラクティブにアニメーションが貼り付くだけの作品なのですが、誰が観ても思わず笑顔になってしまうコミカルな動きやシチュエーションはインタラクティブアートの楽しさをわかりやすく体感させてくれます。こんな、「おっ!」と思わず反応してしまった後に「技術ってどんな風になっているのだろう?」と思わせる順番が大切です。

話に花が咲く一日

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今日は20年来のお仕事仲間でもあり友達の誕生日会。

っていいながら、便乗して誕生日でもなんでもない僕がズーズーしくも花を貰ってしまった。細かい心配りにホント感謝。

なんだか体の芯から温まるようないい誕生会でした。ただ、せっかくでた美味しいものが話に花が咲きすぎて手をつけられなかったのが残念。

時間巻き戻して、もう一度食べに行きたいほど、さすが!食通人達の集まりならではの、ごちそうでした。

あぁ、思い出しただけで・・・。

懐かしい人やいい出会いもたくさんあって、元気一杯もらいました。

いい夢観ながら、眠れそう。

3106888461_6566b091c4_m.jpg ピカソ展最終日。やはり後ろ髪引かれたので、もう一度会いに行ってきました。

サントリー美術館では、「巨匠ピカソ 魂のポートレート」と題して、自画像とそのほかの油彩画を中心に展示。

今日みた作品で、もっとも心動かされたのはピカソ展の最後を飾る絵画「若い画家」。

作品の前で立ち尽くして鑑賞してました。

青の時代に描いた老成した自画像から70年。

死を前にして自ら若い自画像を最後に描いたピカソの心に想いを馳せながら、二日間共に追体験してきた、半生がここで終わってしまうのかと思うと、なんとも切ない気分になり、ここでも離れがたさと、後ろ髪を引かれる思いで、人の流れを遮らない場所でずっと眺めていました。

たぶん、この絵に心動かされた人、多いんじゃないでしょうか?

若い画家

90歳とまではいかなくとも、最後の自画像を描ける人は、本当の画家なのだと思います。

色々なものを断ち切らないときっと描けない気がするのですが、ピカソはきわめて少ないタッチで何とも言えない深い目をした笑顔の若い画家を描きました。

何十万という作品を作り上げてきたピカソの最後の自画像。この絵に詰まった「境地」のようなものの前に、足下にもたどり着けない気持ちになり、ただ、ただ何も言えず見入ってしまいます。


ピカソの生涯がどんなものだったのか、本当のところ、やはり何もわからないままでしたが、でも逆にどんなに身近な人であっても、ここまでその人の半生や生き方に触れられる機会がある人もいないと思います。

もうしばらく会うこともできないかと思うと、ピカソのミューズ達のように、彼の魅力に翻弄された人の気持ちの片鱗を少しでも共有できた気がして、少し寂しさを感じつつもなんとも充実した時間でした。

いや、片鱗ぐらいにしておかないと、強すぎてぽっかり穴があいてしまうかもしれません。それくらいエネルギーと魅力に満ちた人。ピカソ。なんだか不思議な力をもらった二日間。

ガイドの最後にこんな感じの一節がありました。

「絵画は自ら望むようにピカソに絵を描かせ、そして絵画はピカソを画家にした。」

絵画や音楽は、描いたり演奏したりするのではなくて、描かされ、演奏させられるものなのかもしれませんね。

絵筆によって描かれた味わい深い人生の絵巻を駆け足でみてきたような、そんな展示会でした。

tokyoPICASSO「巨匠ピカソ」展

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東京・六本木の国立新美術館、最終日前日。観てきました。3104639874_000c092387_m.jpg

やっぱりすごい。一人の人間の圧倒的な存在感やエネルギーがこれほどまでに感じられる場というだけでも、言葉を絶するすごさがあります。

ピカソが生涯に作った作品数はギネスに掲載されるほど、(1973年に亡くなった時点で、7万点ほどの作品が残されていた)その数といい、晩年まで絶えることなく精力的に創作しつづけていたエネルギーがどこからくるのか、作品を通じて人間としてのピカソ像にますます引き込まれてしまう美術展でした。

「愛に生きる」

たぶんこの言葉が一番形容している気がするのですが、彼の作品に大きく影響を与えている恋人や妻、愛人たち。ピカソを支える女神(解説では彼女らの存在をミューズと表記してました)なのか、それともピカソに翻弄され続けてきたのか、そのあたりもまた、一人一人の女性の描き方や、ピカソの視線の先に思いを重ねてみるのも楽しみ方の一つ。このあたりは音声ガイドがとても役にたちました。

出会いや別れ、そのときの幸福感や絶望感などが作品に反映されているあたり、やはり恋愛と創作のエネルギーは大きく影響しあうのでしょうね。

(この女性遍歴というか、わかりやすい解説を発見。)

元々エネルギッシュな人だったのだと思いますが、その車輪を絶えず回し続ける存在として常にミューズが必要だったのでしょう。破天荒でボヘミアンな生き様は一見、自己中心的ですが、残された作品群を眺めていると、それがただの自己完結では終わらない何かを感じます。

自分の弱さを埋めるために、というよりは、より強くあるために愛に生きたのかな。

ピカソと恋愛をした二人の女性がピカソ没後自殺してしまいますが、没後というのも、それだけそのエネルギーが強かったのかもしれませんね。

それにしても、圧倒される作品群に一日では物足りないほど。明日ももう一度観に行くかも。

「誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」(wikipediaより)

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今日は「シックス・アパート日本法人設立5周年記念イベント」に行ってきました。

(ちなみに、パーティの写真がないので、帰りに寄った高円寺のザッツバーガーにて(佐世保バーガー))

思えばブログが登場して、5-6年の月日が流れたんですね。僕自身にとっても、このシックスアパートのMovable Typeというブログシステムとの出会いと、この創庵ブログというのいうのはイコールなので、ともにこの5年を振り返る意味でも、どんな人が集まっているのか参加してみたかったイベントでした。

まずは、黎明期から会ってみたかった人ともお会いできて、感慨深かったです。ブログでかなりお世話になったBlogPeopleのモダシンさんとも6年越しくらいでしょうか?やっとお会いできたり、黎明期からよく拝見してた、松村太郎さん、ヒビノアワのCHEEBOWさんとか、ネタフルこぐれさん、B-log Cabinの南さん。シックスアパートのみなさん。懐かしい人と話すだけであっという間にすぎてしまった、ホント楽しい時間でした。

ありそうでなかったもの

ちょうど昨日、車で聞いたラジオで「ヒットする商品の法則」みたいなことをやっていて、そのうちのひとつに「ありそうで、なかったもの」というのがありました。

まったく画期的で新しいもの。というのは、意外に反応しずらく、どこか親しみや自分の好みに比較対象できるものがあって、どこかにありそうなんだけど、「なかったもの」というのが、ヒットするポイントとのこと。

このMovable Typeというのは、「誰もが簡単にインターネット上で情報発信体験ができるもの」という「ありそうでなかった」、今で言えばブログと呼ばれるシステムのさきがけ的存在であったこと。

加えて、そうした無料のシステムで、かつデザインが「美しい」ものが意外にどころか、ほとんどなかったんです。まさに個人的にはこれが一番、ほしくてしかたなかったものでした。

掲示板にしても、CGIとよばれる、ネット上で簡単に書き込みができる仕組みにしても、プログラムが絡むもので無料のもはたいていデザインやインターフェイスには配慮されていないものが多かったんです。当時1000万円台の業務用CMSでやっとそこそこ綺麗。くらいでした。(ちょっと言いすぎかな?!)

それが、このシステムは、一般の人の目には触れない管理画面すらがすごく綺麗で、洗練されていたこと。

ここに一番心動かされました。管理画面が綺麗ってことは大事なんですよね。

レストランやコンビニでもお客さんがいる場所を綺麗にすることは当たり前ですが、やはり従業員が働くバックヤードを綺麗にしないと、全体的なサービスが低下してしまうのと同じで、使う側が快適に気持ちよくできるシステムって大切なのだと思います。

ただ、当時は日本語が通らず文字化けをごまかしながら使っていたのですが、平田さんが日本語化してくれて、一気に敷居が下がって、モチベーションがあがったのも、オープンに開発していた良質なシステムだったからこそなんですね。

で、聞けばこのソフトを開発しているのが、アメリカにいる当時20代のカップルだというのに2度びっくり。彼女らが来日したときに、パーティでお会いした(via minami-san's flickr)のですが、そして納得。彼がシステムで彼女がデザイン担当というカップル。

こういうカップルでネットのシステムを構築している人も「ありそうでなかった」気がしました。

あのワクワク感というか、Movable Typeとの出会いがなによりも大きなモチベーションになって、ブログもここまで続いたのだと思います。

5年で折り返し地点のような時期ですね。これからブログを含めて、ITの世界がどうなるか?

また新しい局面を迎える気がしますが、なにはともあれ、好奇心に満ちた行動力ある人たちが次なる時代を切り開くのは間違いないことなので、ここに集まっている人たち含めて、みんなの動きに注目しながら、明るい未来が開けることを期待しつつ。

会場後にしました。

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この作品( )は無言で座っている人が13分の間、淡淡と映像で映し出されている作品です。

これもまた音声ガイドをもたずに入っていると、拷問のように無言のままこの人と対峙することになるのですが、ガイドによると、この人は終始作者からインタビューを受け続けていて、その答えを言葉ではなく、頭の中で答えるという作業を繰り返しているらしいです。

そういわれてみたら、この人は何かの役を演じているのではなく、一番ありのままの無防備な状態をさらしているようにも見えてきます。

喧嘩をするときに「おまえどこの学校のどいつだ!」とか喧嘩相手に啖呵を切る常套句がありますが、まさに、人ってふいにそういわれた瞬間、反射的に素になって無防備になるんですよね。

ゲド戦記や陰陽師のように、「名を名乗れ!」と言われて、素になって答えると相手の術中にハマリ動けなくされてしまう魔法のようなもので、それまで作っていたバリアや結界を突破されてしまうのでしょう。

攻撃は最大の防御で、相手のことを質問しているうちはいいのですが、逆に「貴方はどうなの?」って質問返しをされてしまうと、金縛りにあって口がぱくぱくして言葉につまるような、まさにそんな感じです。

「自分探しもほどほどにしないと、心の隙間に入り込んでくるものもあるので注意。」

なんてメッセージはどこにもありませんが、そんなことぼんやり考えてました。

この作品の後に、赤レンガ倉庫で「廊下」という作品を鑑賞したのですが、まさに人の内省にうまく干渉し巧妙にもてあそんでくれるような、面白い作品でした。(つづく)

横浜トリエンナーレ最終日前日

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3年に一度の現代アートフェスティバル、横浜トリエンナーレに行ってきました。

明日が最終日ということであわてて行ってきたのですが、天候に恵まれて風もなく、穏やかな一日でした。

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メイン会場の3カ所を徒歩と船で移動しながら、すべての会場のカフェに立ち寄っては、のんびりお茶してアートショップ物色してと、ゆっくり回ったのですが、ちょうど一日でのんびり楽しめるイベントでした。

まずはメイン会場の新港ピアから。

スタッフ以外誰もつけてなかったのですが、律儀に別売りのパスケースも買って、加えて音声ガイドもゲット。

音声ガイドも有料なので、借りてなかった人がほとんどですが、あったほうが、絶対に!!!180%楽しめます。ホント。

現代アートなんだから、「みたままに感じろ!」と言われてもまず無理。

最初にガイドを入れずにすこし自分なりに感じて、で答え合わせのようにガイドから流れる作者の意図とか、ねらいを聞き合わせると、ぜんぜん違った角度から作品を見直すことができるので、2度美味しくなります。これは絶対にお得。出費しても元は取れます。

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着ぐるみモノ

作品的なお気に入りは、やはり着ぐるみ映像もの。ターナー賞につづき、こちらでも、着ぐるみを着たアーティストがただ動いている映像がありました。

ガイドによると1980年代からこうした活動をしている二人組らしく、ねずみとパンダの視点でアートを鑑賞してみる。というテーマで映像が延々とたれ流れてました。 (ペーター・フィッシュリ & ダヴィッド・ヴァイス《ネズミとクマのフィルムの一部》)

どうみても「アリクイ」のようなねずみとパンダ。

会場の片隅で、お休み(永眠?!)しているこの二組にも出会えます。

緊張と緩和の繰り返し

そうした、作品を堪能しようとする度に、

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まず「緊張してよく観察しろ!」と問われているような気がして、身構えて神経を集中していると

「なにを考えているんだ!!ここになにも意味はない!」と叱られ、びくっ!としていると、

「驚くな笑え!」と、まるで、どっちやねん!みたいな脱力感におそわれ、

「そう!それや!そんなんでええねん」みたいに最後に妙に励まされて、作品を後にする・・・みたいな、そんな緊張と緩和の脳内プレーが楽しめるのも現代アートの(個人的な)楽しみ方です。

常識がちょっと侵される感覚っていうのかな。そんな気持ちになれる瞬間が楽しいです。(割れた鏡の作品〜ミケランジェロ・ピストレット《17マイナス1》,2008。)

心地よい思考停止体験

作品を鑑賞しながら、間違えて違う展示物のガイドを流してしまったのですが、その後、ガイドすら疑わしく思えてしまうと、目の前に展開している作品がいったい何なのか?がわからなくなり、頼るべき存在のありかを見失います。R1012667.JPG

そうしたハプニングがまた、アートにつながり、次第に会場をさまよっている自分すらが、作品に取り込まれてしまったかのような、鑑賞する側とされる側の存在の境目が曖昧になってしまう気がしてしまい、そのあたりから脳の表裏がひっくりかえしてしまったかのような意味不明な思考停止トリップ体験が続き、どんどん感覚が麻痺してきます。

会場を後にしてもしばらく、この感覚が持続するので、目に映るものすべてが意味があるもので、無い様にも見えてきたりします。でも、それって、凝り固まった頭がプルプルにほぐれてしまったような、そんな心地よさでもあるんですよね。心地よい思考停止体験というのかな。

変な力が抜けてしまったというか、いい意味で脳が疲労してうまく脱力できた状態に近くて、こうした状態のほうがむしろ健康なんだろうなぁとか思えますね。

たくさんの作品に出会ったので書き切れませんが、思い出せるうちに続けます。

Design Festa2008

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東京ビックサイトで開催された Design Festa vol29に初参戦してきました。

タイトルは「サイレントカフェ」( SILENT CAFE)

今回は電子楽器で演奏パフォーマンスしながら、道行く人に声をかけその場で「指一本」でセッションを一緒に楽しんで貰う。というもの。

主に用意していったハウス系の楽曲とブライアンイーノのBloomを使ったアンビエントもので、機材をぐりぐりいじってもらいながら、音楽を聴くだけでなく、一緒に参加して楽しむことをテーマに企画。

機材設営

今回は前回にくらべてびっくりするほど人が多く、前回はブースもまばらなイメージがあったのですが、今回は余すところなく出展者がひしめきあい、タタミ一畳分のスペースに機材を詰め込むのがまず一苦労。

開場前に、機材を運び込んだのですが、結局セッティングが終わったのが昼ごろ。

ほぼ路上に近いストリートパフォーマンス的な雰囲気なので、周りの出展者との音の兼ね合いが非常にむずかしく、また、選んだ会場がステージパフォーマンスをする会場だったので、そうしたイベントがはじまると、音が出せない、など制約の非常に厳しい場所。

そうした状況も想定して、ワイヤレスのヘッドフォンをいくつか用意して、ヘッドフォンを配って、パフォーマンスを楽しんでもらおうと思ったのですが、

幸運なことに、僕のブースのまわりだけ音が静かで、ヘッドフォンを使わなくても楽しんで貰える企画に。

音が出せたおかげで足をとめて参加してくれる人が多く、二日間のべ60ー70人くらいの人とはセッションできたと思います。いや。もっとかな? トイレに行くのも惜しいくらいブースに貼りついてました。

満面の笑みに元気もらいました

なによりも、おそるおそる近づいてくる人も、自らの指で音を出した瞬間に満面の笑みで「うわ!音楽たのしー!」と喜んでくれる顔を間近で見れたこと。

特に子供はもちろんのこと、電子楽器や音楽に興味はあるけど・・という女の子や、外国の人たちが、積極的に参加してくれたのが印象的でした。

音の楽しさを通じて、たくさんの人と語り合い、名刺やフライヤーを交換しあったりして過ごす時間は本当に楽しいもの。

「利害」ではなく「好き」、「楽しい」を接点に人と出会い、「縁」がつながる。名前も知らない者同士が、出会った瞬間に笑顔で笑いあえること。

準備は大変でしたが、みんなの笑顔で元気たくさんもらいました。

とにかく、人との出会いが楽しかった今回のイベント。自分が何を求めいて何が好きなのか?がより明確になった気がします。

本当にすべてのよき出会いに感謝!!!

おまけ

和製HANK DRUM「 GANK(頑工)」登場

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これは別エントリーに改めて書きたいと思ってますが、イベント初日の夜に数ヶ月前に発注していた楽器「GANK」が届き、二日目は電子音楽とこの和製民族打楽器を叩いていくつかセッションしました。

この楽器、プロパンボンベの底をふたつ組み合わせて作られているもので、重量はずっしりと思いのですが、叩くととてもいい響きがあります。

こうした楽器にも目をとめてくれる人が多く、少し変わった楽器好きな人特有の共通するニオイを交換しあうのもまた、楽しいもの。

電子楽器もいいのですが、電気のいらない楽器もやはり魅力があります。

これも、今後のライブとかに使って積極的に演奏していくのが楽しみ!!

音色は近いうちにアップします。

イベント案内です。

今日夜7時30分くらいから、木場のballtongue Cafeでライブします。

エレクトロとギターのツーピースでジャズっぽくセッションします。1時間弱程度です。

場合によってはちょい遅めにも出番あるかもですが、ふらっと遊びにいらしてください。アットホームなカフェなので、プライベートでもぜひ。

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