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心動かされた言葉・人 Archive

笑うから面白くなる

以前NHKでやっていた番組かなにかでやっていた実験で、ペンを口の真ん中で噛むのと、端(もしくは横にして)噛みながら、漫画を読むのとでは、面白さの感じ方が違う。というのがあって、
横にして噛むと「笑み」になるので、そのほうがより面白く感じるのだそう。

「面白いから笑う」のはあたりまえだけど
笑うから面白くなる」というのは、いい発想だなぁと。

旅も近いところがあって、
旅するために行動するのではなくて
行動していると、そこが旅になる。

とにかく、動くと世界も近づくし思いや夢も引き寄せる。

昔読んだ本でこんなのもありましたね。

パーティがあるからタキシードを買うのではなくて
タキシードを買うからパーティに呼ばれる。

みたいな。

まずは行動。やってみること。大事大事。

ピカソ展、メモ

ピカソ展のことが頭から離れず、思うことがたくさんありすぎて、忘れないうちにメモ。なんだか整理していないけど。とりあえず。

いまにして思えば、ピカソって箱根に行けばいつでも会える。というちょっと間違った先入観もあって、身近過ぎてあまりよく知らない存在だったのかな。
ピカソの若かりしころの写真が展示されていたのですが、知った気になっていて、実は全然知らないことにもちょっとびっくり。

まだ自伝や映画は観ていないので、そのあたりは、楽しみにとっておいて、今日観た感想をもう一度。

そこにある存在感のようなもの

まず、小さな小物を使った造形物があったのですが、小さな小箱に切れ端のようなものが無造作におかれたコラージュ作品。
(作品の解説としてはかなりまずい紹介ですが) 


あれだけ膨大な作品を残したピカソなので、なんだかおやつでも食べながら、手近なモノでちょいちょい作ったような作品が目の前10cmほどの距離にガラスケースで展示されていて、こんなものも作っていたんだ・・と思うと同時に、そんな小さな作品がこうやって年月を経てもそのまま残されていることに、美術の面白さを感じました。

大判の絵画も迫力があって面白いですが、目の前にある小さな立体作品って、じっと眺めていると、その向かいに時間を超えてピカソの存在を感じるというか、作品に手触り感を感じることができるので、その時代のその瞬間に立ち会っているような気になります。

工業製品なんかは人の気が抜けていますが、やはりアートってその人の気が抜けにくいというか、人の存在を感じてしまうものなんでしょうね。

影響を受け合うこと

作品の解説を聞いていると、ピカソの作風にそのとき出会った人物や時代的背景など様々な出会いが影響を与えていることがわかります。 

デフォルメされた目や鼻などの造詣はアフリカの彫刻などを連想させるし、毎晩のように芸術家同士でお互いのアトリエを訪問しあい、お互いの作品を批評しあったエピソードや、影響されたアーティストの作風を自分なりに表現してみせたあたり、模倣や個性といった言葉を超越した抜けた感覚がそこにあるような気がしました。

創作活動そのものが、受けた影響を昇華させる行為であって、「影響」ってそれも、ひとつのエネルギーであって、そうしたエネルギーの交流や交換の仕方そのものが、その人の作風や作品なのかな。

自分にとって「いい影響」を探すセンスが大切で、彼の場合はそれがとても長けていたし、芸術家はそれが大切なのでしょうね。

恋愛や住む環境、対話や作品の交換。「情報」もそうですね。良い影響も悪い影響も昇華できるクリエイティブセンス。すごい人だったのだろうなぁ。

長生きの秘訣もそこにある気がしました。

ブログもそのひとつ

ブログも違う解釈をすれば、そうした「影響」を昇華するためのトレーニングの場なのかもしれませんね。

芸術やクリエイティブがその人の生きるエネルギーに影響するのはなぜだろうか?という疑問に色々なヒントがあった気がしました。長くなりそうなのでとりあえず、この辺で。

ジャジーに

先日のハロウィーン・セッションライブの反省。

色々うまくいかず、ほぼ失敗。

相方から非常にするどく厳しいメールをもらって、なんだか実はかなりうれしくなっているあたり、M気があるのか?自分?!のような気分。

指摘された箇所すべて、ライブとしての反省だけはなく、自分自身のあり方にも非常に通じるところが多く、そうしたところを直球で言ってくれる存在というのも本当に少なくなってしまったので、まじめに感謝。

音楽やライブはやるほどに自分のいい面悪い面が浮き彫りになって、そこを直視してしまう。人前に立たされた瞬間にそれまで隠せていた自分の面が出てしまうんですよね。

その自分を隠そうとするから余計、ミスを連発してしまったり。

修行というか、単に練習が足りていないんだけど、やはり日々の練習があってこそ、ライブが楽しいものになるのであって、ジャジーにっていうのは、「適当に」「フィーリング」でという表面的な意味ではなく、もっと深淵なで使うのも奥がましい言葉。

ジャズなんて、ホントまだまだ入り口にも立っていないのに、その入り口を厳しくも根気よく手を伸ばして待っていてくれる知人に再会できたこと。

なんだか、音楽を通じてそうした関係づくりができたことも、本当にうれしく思う。

音楽や物作りといったクリエイティブの世界の魅力は、物作りを通じて自分と向き合って、人と向き合うところにその醍醐味があるのだと、改めて教わった気がしました。

旧友に感謝。

まさに、先日読んだ「最後の授業」にも通じるところがたくさんあって、本との出会いもそういうものかもしれませんね。

また、一節を

夢をかなえる道のりに障害が立ちはだかったとき、
僕はいつも自分にこう言い聞かせてきた。

「レンガの壁がそこにあるのには、理由がある。
 僕たちの行く手を阻むためにあるのではない。
 その壁の向こうにある「何か」を
 自分がどれほど真剣に望んでいるか、
 証明するチャンスを与えているのだ。」

最後の授業「ランディ・パウシュ」より

最後の授業


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"最後の授業 ぼくの命があるうちに DVD付き版" (ランディ パウシュ, ジェフリー ザスロー)

天気がいいのに、また、わざわざコインランドリーに行ってしまった。

昨日のうちに洗濯が終わったので、あまり量がなかったんだけど、目当てはこの本。

余命宣告をされて、最後の講義をおこなった、ランディ・パウシュの自伝。

彼は本当の意味での楽観主義者。しかも筋金入り。現実から目をそらすことをせず、楽観できる強さをもっている。

その姿勢から学べるところもたくさんあるし、もし自分がなにかの困難にぶつかったとき、そして、夢をあきらめそうになったとき、彼の言葉はきっとじんわりと響いて人生に作用していくんじゃないかな。

本当に頭の良い人というのは、こういう人のことをいうのだと思う。クレバーというよりはスマート。そして、とても人間的。

そして、余命を前にしても、まだこれから先のことを考え続けている。

きっと彼の魂の強さがこうして本という姿になり、映像や情報となって、生き続けようとしているんだろう。

まさにバーチャルリアリティの研究者の先端にいる人だ。

色々な意味で勇気になる。とてもいい本。

いくつか印象に残った言葉を

自尊心

「きみが失敗しても、だれも何も言わなくなったら、きみのことはあきらめたという意味なんだよ」

子供の頃にフットボールチームに入部させられ、監督に何度もやり直しをさせられたときのエピソード。

その後にこう続く

「最近は、子供に自尊心を与えることがあちこちで話題になっている。ただし、自尊心は与えるものではない。自分で築くものだ。」

子供だけじゃなく、大人にも言える教訓。

他人の考えを気にしすぎない

多くの人が一日のかなりの時間を、そうやって心配することに費やしている。他人が考えていることをだれも気にしなかったら、僕たちの生活と仕事の効率は33%アップする。

特に根拠のない33%が彼流なユーモアだけど、これはとても言い当てている。

なかなか他人を意識せずに生きることは難しいし、また独善的に生きていけばいいというわけでもない。

この後に、彼の研究メンバーにいつも伝えている言葉

「僕が何を考えているか、心配する必要はない。いいことも悪いことも、考えていることはきみに教えるから」

彼は教職にありながら、こうした彼の話は非常に実践的で応用のきくものばかり。

権威にありながら、つねに謙虚でユーモア。そして、どうしたら個人の才能が伸びるか? 人のために考え抜ける優しさをもっている。

この本を読むと、もっと一生懸命に生きよう!と思える。

いい本です。わかりやすく、伝わる言葉の数々。さらっと読めてじわっときます。

勝負のあや

帰り道の車のラジオ。「勝負のあや」というテーマで板東英二さんが言った言葉

勝負とは「守ること

つまり、いつもと違ったことや準備していないことを、突発的にしてしまうと、やはり誰であってもうまくいかない。それが「あや」であって、

セオリー通りに準備してきたことを守ること。そして守りそのものが勝機である。と。

最近、知人が「器用貧乏だからだめなんだよねー」ってつぶやいていた言葉が印象的で「器用貧乏」という言葉について考えていたのですが、その答えのひとつがつまりこういうことなんでしょうね。

プロフェッショナルになると、予期しないことでも、得意ではないことでも、器用になんでもこなせるように見えて、実は、プロとは地道に鍛錬してきたものを大きく深く掘り下げてきた結果にすぎず、むしろ不器用に同じことを繰り返してきた人のこと。

どんな風にでも対応できることばかりを考えてしまうと、結局得るものが少ないのかもしれません。

自分のことのようで身にしみますが、これだけ選択肢が多い時代、そして移り変わりが早い時代に、周りのペースに惑わされず、ひとつひとつをやり遂げることで、自分の芯がブレなくなり、物事がより見えてくるのだと思います。

時代や周りにあわせて、流行に乗ることが大切なのではなくて、自分と向き合っているモノが、時代遅れだったり、世間とずれていたとしても、よそ見をせず自分の芯をぶらさないこと。むしろそんなスタイルでいると、いろいろなものを楽しむ余裕が生まれて、より守備範囲も広くなる気がします。

本当の器用さってそんな感じかもしれませんね。

J-WAVE PLATOn この番組面白いです。

これでいいのだ

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

タモリ弔辞「私もあなたの作品の一つです」
http://www.sanspo.com/geino/news/080807/gnj0808071158018-n1.htm

弔辞だけにこの一節を「みごとな」と形容してしまっていいものか、でもみごとに心を打つ洞察。

まるで般若心経を平易な言葉で語られたような、故人や人間そのものの本質をついて、言葉でやさしく成仏させるのがお経なのかもしれない。なんて、この言葉を読んで思いました。

「これでいいのだ」といった赤塚不二夫もすごいし、そしてすべてが万事「これでいいのだ」と暗喩した。タモリもやはりすごい。

人の弔辞なのに何度も読み返してはその言葉に触れ、二人の関係に間接的に触れることで、なんだか優しい気持ちになれる。言葉の力や暖かさを感じるいい弔辞でした。

願い事は一度世の中に手放せば

シンディーローパーのひとこと。(L25より)

「「クラブ・ア・ホールド」という曲では、願い事は一度世の中に放つことが大切と歌ったの。欲しいものばかりに意識を集中させると、今あるものへの感謝も忘れるでしょ。願い事を手放せば、いつかそれがグルリと旅をして自分に帰ってくる。誰の人生にもそれは起こるのよ」

どんな人だって人が思うほど思い通りに生きれるわけがなくて、色々な問題に直面して葛藤したり歯がゆい思いをしているもの。

「じぶんだけ・・」と卑下てしまったり、

「じぶんは違う・・・」と見栄をはりすぎることなく、

「みんなそうなんだ」と思って、肩の力をぬいてみると、

物事はじょじょに思う方向に流れていくものなのかもしれない。

シンディローパーの笑顔。無邪気なだけの笑顔にはない、この人の魅力がおりこまれているようで素敵です。

L25:ココロヲヒラコウ

証言記録・兵士たちの戦争

「フィリピン・レイテ島・誤報が生んだ決戦・陸軍第1師団」

「硫黄島からの手紙」を投稿してまもなく、NHKBSで放映していたドキュメンタリー。

硫黄島の戦いよりも四ヶ月ほど前、補給の望みのない戦地に送り込まれた8万人ほどの兵士がほとんど壊滅してしまったという。

硫黄島からの手紙を観たあとだけに、その戦況の悲惨さがよりリアルに伝わってきます。

その壮絶さは史実を読み返しても、想像することすら困難なほど過酷な戦い。その悲惨さを軽々しく言葉にできるものでもないはずですが、そうしたつらい記憶を手繰り寄せて、後世に伝えようと取材に応じてくれた方々のひとつひとつの言葉がとても大切なメッセージになっている気がしました。

思えば身内にもそうした経験を聞かせてくれる人がいなくなってきているので、改めてその時代の記憶を記録しているこうしたドキュメンタリーが貴重に思えます。

レイテ島の戦い

山木屋太鼓クラブ 19歳の挑戦

北海道は今日も快晴。抜けるような広い空。無事講演も終わり日ごろの疲れを癒してます。。

ホテルで観た朝のドキュメンタリー。クローズアップふくしま~響け ふるさとの鼓動
福島県の若き指導者が率いる和太鼓楽団のドキュメンタリー。
19歳の少年が。。。と書こうと思ったけど、めずらしく少年とは思えないいい目をしている。
子供のころから和太鼓を習い、高校生最後の大会で予選落ちし、目標を失いかけた苦渋から、卒業後指導者の道を志した大学生。

県大会直前の言葉
「リズムを叩こうとしないで、間違えてもいいからイメージを叩こうとしてください」

彼自身が作曲した楽曲を中高生のメンバーが叩く。

先生も含めたらたぶん平均年齢15~6歳のチームが一丸となって一心不乱に演奏しているシーンは寝起きの頭にいい刺激を与えてくれた。

生まれ育った小さな村の自然をみんなが共有しているからこそ奏でられる音。
僕にはそういう経験がないので、ある意味うらやましくも思った。

技術や経験があって表現できるものもあれば、むしろ、子供だからこそ不器用にも素直に響かせることができる音もあるのかもしれない。

音色の少ない和太鼓で、表情豊かに奏でる魅力。みんなすごくいい顔してたなぁ。

あるべき教育の姿ってこういうもののような気がした。

命の授業

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たまたまテレビをつけたら、ガンを宣告された先生が、命の大切さを伝える授業をやっているというドキュメンタリーが流れていた。

番組の最後にその先生の好きだという、永六輔さんの詩が。

生きているということは 誰かに借りをつくること
生きていくということは その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう

本当にその通りだと思う。

ちょうど、来週の講演で使う資料をまとめていて、「インターネットは<恩恵>のネットワーク」。というタイトルだけ書いて、それがなんのなのか言葉をまっていた矢先、それは「命」「生」そのものなのだと、いわれた気がして、伝えるべき言葉の重さを改めて考えさせられてしまった。

命の大切さを知ったとき、どんな言葉であれ何かを誰かに伝えることのできる幸せを人は改めてかみ締めるのだと思う。

その意味で「ブログ」は、人にとって、命の火を燃やすための薪のような存在なのかもしれない。

あいさつの威力

年始にいつも行くカフェに予約して行った時のこと。

オーダーを取りにきたスタッフが、腰を丁寧に折り、

本日はあけましておめでとうございます。」

と深々とお辞儀。

文字では表現しきれない、心のこもった挨拶。

本当に心から祝福してくれているような言葉の響き。

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年始早々一流の挨拶をいただいた気分。あまりに、すばらしい間だったので、一瞬時間が止まってしまったような錯覚を覚えたほど。

それからずっとそのときの感覚が頭から離れず、いろいろなお店に入るたびに、挨拶の何が違うのだろうか、年始早々に宿題を出された気分で、つい思いふけってしまった。

やはり、相手に喜んでもらいたいと思って行動すると、それは相手に伝わるということ。

以前、陰陽師の言葉で(呪~しゅ)はつまり名前で、人は名前に縛られる。ということを書いたことがあるけど、本物の挨拶は、その逆で呼ばれた本人がその瞬間そこに唯一無二な存在として明確に存在していることを証明し、それを称えるための「魔法の言葉」なのかもしれない。

挨拶は愛拶。その逆は無拶か。

人は自分ひとりでは存在できないから、逢拶の呪文で互いを生かしあわないと生きていけない。そんないにしえの掟のようなものが眠っている気もした。

そういえば、先日近所を歩いていて、すれ違いざまにもらったヤクルトのお姉さんの「おはようございます~」の言葉もやはり同じ。あのお姉さんは初対面のすれ違う人に片っ端から白魔法をかけて、走り抜けていったのかもしれない。(辻ケアル)

僕の挨拶はまだまだ5流だけど、徐々にそんな本物の挨拶ができるようになりたいと思えたエピソード。

人との対話から生まれるもの

年末が近づくと、いつも来年やこれからの未来について、どんな未来が来てほしいか妄想をはじめる。
僕はパソコンやネットの人なので、やはりITの未来がどんなものだったら、僕らはもっと豊かに幸せになるだろうか?そんなことを考えてみる。

そして、色々なビジョンについて、親しい知人に電話をかけたり、食事やカフェに誘いだしては、アイデアに対して意見をもらう。この時期の僕は悪質な勧誘員のような強引さがあるかもしれない。

生まれたビジョンは誰かに語ることで、小さな生命のようにぽっと命の火が灯り、そのほんわかした灯りを見つめながらその先に夢を描く対話の時間はまるで、魂の交換をするような作業。

その薄明かりに希望が見えかくれする度に、その対話から得もいわれぬ力をもらう。

僕がビジョンについて相談しているときに、それなら、このスピーチを観てほしい。と知人がオススメしてくれたビデオ。

今年の東大の式辞スピーチ。
全盲聾者でもある准教授のメッセージは魂がふるえるようなエネルギーに満ちていて、何ともいえない勇気を与えてくれる。

「他者とのかかわり、他者とのコミュニケーションがなければ、どのように知識や情報があっても、あるいは、すばらしいご馳走を食べていても、生きる上での魂のエネルギーは湧いてこないということです。」

目も見えない、耳も聞こえない、孤独な宇宙空間に漂うような世界から、命を燃やして語る言葉の一つ一つが、僕のそして、ITの未来を考える上でとても大きなヒントと希望を見いださせてくれる気がした。
このメッセージを言葉ではない形で彼の魂に届けられるような活動をしてみたい。映像を観おわった後、ITの世界で何ができるだろうか?そんな風なことをずっと考えてしまった。

また、色々なメッセージやアドバイスをくれている知人にも本当に感謝したい。どうすれば、この恩恵に報いることができるか? それだけを考えて実践していくことで、よりビジョンは明確に見えてくるような気もしている。

福島先生のスピーチは
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/movie_qt_high12_j.html

祝辞のテキストファイルはこちら
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message19_03_j.html

言葉は差別しない

昨晩放送していた、NHKBSの、ハイビジョン特集 シリーズこの国を見つめ「新在日外国人」の中で在日のアメリカ人で詩人の男性が語っていた印象的な言葉。
日本語もままならないまま、日本にやってきて、商店街の軒先で生活に触れ言葉を覚えていったという氏。日本語で詩や絵本を創作している。録画しなかったので、彼の名前を思い出せないが、今度探して読んでみたい。

その彼がインタビューの中で、「国は差別するかもしれないけど、言葉は差別しない。そこに真剣に向かおうとすれば、言葉は僕を受け入れてくれる」と優しい物腰の日本語で語っていた。この言葉がとても印象的だった。

さまざまな国籍をもつ人が出演していたのですが、一様に物腰が柔らかく見えたのは、彼らの影響受けた日本の文化というのは、こういうやわらかさなのかもしれない。そして、日本人である僕らが忘れてしまっているもの。捨てようとしているもの。

そんなことをぼんやりと感じながら眺めていた。

この番組を作っているディレクターも在日2世。自らの答えをさぐるように、自らに問いかけるように追い続けるその姿勢があらわれていて、観ている僕も一緒に自分を問いかけてしまいそうになる一分の無駄のないドキュメンタリーでした。もう一度観たい。

少し言葉がうろ覚えですが、他に印象に残ったところ。

最後にディレクター本人が自分自身を問いかけるシーンで、「玄さん(ディレクター)はパスポートや国籍が欲しいわけではない。自由が欲しいんだよ。それはパスポートや国籍で手に入るものじゃないでしょ。」と古くからの知人で同じく日本在住経験の長い韓国籍の同僚に言われて、言葉を返せない場面。

日本のパスポートは世界中どこにでもいける表面的なメリットもある。でも、本当はそういった自由ではなくて、日本で生まれて日本国籍をもつ僕らのような普通の人が、普通に手にしている(そしてそれを意識せず生きている)心の自由を彼らは求めているのだろう。

外にいるから見えることもある。いや、むしろ外にいないと見えないもの。

「日本は好き。だけど、もっと良くなってもらいたい」口々、一様に語られる言葉。僕らももっと日本を好きになり、もっと良くしようと思わなきゃダメだ。色々な意味恥ずかしながらはっとさせられた。

最後に、番組とは関係ないけど山本夏彦さんの言葉を思い出した。

 「私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ」

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